「彼ら」って勝手に線引きしているメディアの責任って??

選択肢が増えています。

 

これは良いことだとは思う半面で、危惧することも当然あります。

 

少し相模原障害者施設殺傷事件についてあえて触れてみたいと思います。

 

相模原市障害者施設殺傷事件植松被告について取り上げられ、そこからLGBT等にまで派生しました。

これは非常に残虐な事件。個人的にはテロに匹敵する事件だと考えています。

 

 メディアとしましては、植松被告に対しての事件に関する行動は、当然容認できないと受け止めることのできる動画コンテンツ制作をしていました。

ここまではそれほど違和感はありませんでした。

 

しかし、非常に違和感を感じたのは、メディアは障害者の方たちを「彼ら」と呼んでいた。

すみませんが、「彼ら」って・・・。

すでに一線引いている時点ですでに勝手に別枠というような感じで捉えられるようなことを発信しているように個人的には感じたのですがね。

 

メディアの編集などによっていくらでも印象操作はできてしまうのですが、取材をされた側のメディアではない人が「彼ら」という言葉を使うことに関しましては、事実を配信するという意味では実際の社会を伝えるという意味では当然良い。

 

でもメディアの人が「彼ら」って使って良いのですかね。

 

選択肢は増えましたが、メディアの影響力が未だに大きいということは否定できません。 しかし、メディアの人で本当にジャーナリストと言える人はどれくらいいるのでしょうかねえ。

 

高学歴で良いところの家庭育ちの社員が多いということは否めないように感じます。

それが悪いと言っているわけではなく、何も疑問に思わなく、これにGOサインを出してしまうことに違和感を感じるのですがね。

 

実社会を知らないと思われる人が影響力のあるメディアで、何も疑問に思わず影響力のある動画コンテンツを配信してしまうという非常に危機的な状況に感じます。

 

何も疑問に思わない人たちは、これをそのまま受け止めてしまいます。

 

正直、右とか左とかは個人的にはどうでも良いのですが、「彼ら」って一線を引いてしまっているメディアが皮肉にも植松被告を否定するような内容のような動画コンテンツを配信しつつも、こういった卑劣な犯罪者を生み出したということに手を貸していたのではないのかという皮肉な構造になっているように感じてしまうんですがねえ・・・