多様性とわがままを勘違いしていないのかという素朴な疑問

いろいろな意見があって然るべきだと思いますが、アンパンマンのアンパンチが暴力的か否かというニュースを見ました。

 

多少理解はできるのですが、それを判断するのは親や大人ではなく、子供自身ではないのかと考えます。

 

多様性とわがままを勘違いしているような気がしてなりません。

 

親や大人が子供を規制しすぎているというような危機的状況に感じます。

 

アンパンマンのアンパンチが暴力的と捉えることも良いと思ますし、アンパンマンは悪くないという考え方も良いと思います。バイキンマンが悪いという考え方があっても良いと思いますし、バイキンマンは悪くないという考え方があっても良いと思います。他のキャラクターは何をしているのかという意見があっても良いと思います。さらに他に解決策などがないのかという考え方があっても良いと思います。

 

でもそれは子供たちが自分自身で考えるべきことで、親や大人が子供を規制すべきではないのではないのかと考えます。

 

例えば、子供がアンパンに興味を持って調べたときに、アンパンマンバイキンマンなどについて考えるかもしれません。アンパンマンの作者のやなせたかしさんがなぜアンパンマンを書いたのかとうことを調べるかもしれません。その考え方などは子供自身に考えさせるべきです。親や大人、コンピューターに考えさせるのではなく、子供自身で考えさせるべきだと考えます。

 

批判は大切で、批判がないということは逆に気持ちが悪いと考えますし、子供達の未来を大人が奪っていないのかと感じることが年々増えてきているように感じてなりません。情報社会で情報が増えたことが要因かもしれません。しかし、家庭内で検閲みたいなことが行われているような気がして、少し怖いです。

 

何かあれば、多様性という言葉で片付けようとする大人も増えているように感じます。

でもそれは、多様性ではなく、単なる自己中心的なわがままであることが多いように感じたりもします。自分以外の他者と接する機会があれば、自分の思い通りになることは限りなく0と言って良いと思います。むしろ全てが自分の思い通りになりましたら、世界中の人口は何人いると思いますか。しかも世界は人間だけではないですし。

 

そもそもすでに親や大人が子供にアンパンマンのアンパンチについて議論している時点で思い通りになっていないということになりますが・・・。ただ議論をすることは良いと思います。それは子供同士で議論すべきでは・・・。